【悲報】中一の娘が部活に入るのやめたので親の心がざわつく話
こんにちは、みちです。大体は、映画や本の感想を書いています。
今日は、タイトルが全てでありますが、心がざわざわして、なんでもないさあ、とおもいつつ、レビューを書く気分でもないので、今の心境でも綴ってみます。
まさかまさか、本気で入らない選択をするとは思いもせずに、あたしは軽く発言したあの一言を後悔しないわけにはいかない。
「え〜、べつに強制じゃないから、嫌なら入らなくてもいいんだよ。嫌なことに時間使うことほど、もったいないことはないよ。生きる時間には限りがあるんだからさ。」
この言葉は、中年以降に適用されるべきものだったかもしれないし、まだまだ未経験だらけの10代の子には、食わず嫌いにならないように、何はともあれ、とにかく何でもいいからやらせるべきなのかもしれなかった。
しかし、大変なことが娘に起こっていると確信する一方で、面白いことになってきたぞ、とほくそ笑む私がいたのも事実である。
かつて中学生のあたしは、嫌々ながら、吹奏楽部に入った。直前までソフトボール部に入る気持ちだったのだが、なんとなしに見た映画“少林寺“のリーリンチェイ(ジェット・リー)に魅せられ、道場に入門することで、部活を運動部から文化部に変えたのだった。
そして、この部活の時間がまさに地獄であった。希望した楽器、サックスとパーカッションにはありつけず、全く興味がないクラリネットという地味なポジション。やる気がないから、当然主旋律の素敵なメロディーライン要員からは外され、ひたすら伴奏ライン。これぞ負の連鎖というもの。入りたかったソフトボール部員のキラキラした姿と、野球部に入った好きな男子を、ただ憧れの眼差しで、音楽室のベランダから眺めるという日々を過ごしていた。
ノリノリで入門した少林寺憲法では、違和感を感じてはいた。型が、映画とは全然違うのだ。きっと、今は入門したての白帯だから、この先に待っているに違いない、と帯の色を変え、有段者となり、黒帯まで行ったときにも、映画で見た型には出会えずにいた。
日本の少林寺拳法は、中国のそれではなく、映画の型は、カンフーに近いものである、と気がつく頃には、中3になっていた。
私はもう我慢の限界に来ていた。中3の春に吹奏楽部を辞めた。夏まであと数ヶ月を待ちきれずに。そんな中途半端なあたしを、あたし自身が バカやろーと言いたいくらいだった。
そんな中学時代を振り返りつつ、娘にぽつりぽつりと放った言葉「嫌々やるものはだめ、全然上達しないし、何より真面目にやっている人達に迷惑をかける」とか「嫌々やると、怪我をする」などが悪影響を与えてしまったかもしれない。
これで良かったのだろうか、、、、と思い詰めていた私の目が捉えた格言
やりたいと思ったら、やりなさい
やらなきゃと思ったら、やめなさい

安堵したのも束の間。
娘「ママー、足が筋肉痛になっちゃったよ」
今日なんかやったっけ?
「駅にある本屋まで自転車で行った」
え?駅まで歩いて15分くらいで、自転車ならわずか、、、、てか、その体力の無さレベル、、、、12歳で、、、、駅まで自転車で筋肉痛は、、、、。
娘が部活に入らないなら、携帯取り上げると、取引を持ちかけた旦那を説得したあたし。
無理やりさせると、こころが壊れちゃうよ、と。
これで良かったのだろうか、、、、。